2011年 09月 09日
久しぶりに快晴となった8日、あさの木曜会を済ませた後、久しぶりにスカイツリーを見に行ってきた。いつもの通り撮影ポイントを歩いたが今日は両国に出てみた。大相撲が11日初日なので、幟の立つ国技館もみたくなった。前回行ったときは技量審査場所ということで、幟はなくさびしいものであったが、国技館にはやはり幟が無いと絵にならない。 日ごろの運動不足を今日一日で穴埋めするがごとくよく歩いた。押上から十間橋、また戻る形で墨田区役所-吾妻橋。そして両国まで。スカイツリー本体が完成したこともあって、観光インフラが徐々に整ってくる中で、9月10日から、上野・浅草・スカイツリーを結ぶシャトルバスが運行する。 両国は、いつ行っても何度行っても飽きのこない下町。相撲部屋は町内に割拠、自転車に乗った大男が走り回る姿は、自転車が可哀そうになる。 一時、蔵前に移転していた国技館が今の両国に戻ったとき、当時の理事長春日野(栃錦)は、国技館は両国にあっての国技館、両国になければならないのだ、といった言葉が思い出される。ほとんど大川を挟んで対岸にあったのだが、蔵前ではだめだったということ。 八百長問題の禊はまだ済んではいないだろうが、やはり幟の立つ国技館は、国技館の顔をあらわしている。ここからもスカイツリーが望める。 懐かしい映像 ①両国国技館は、かって丸屋根のドームだった。進駐軍に接収され、某大学の講堂になり、戦後は曲折を経た建物である。そんな懐かしい写真を見た。 東京都交通局が発行しているフリーペーパーに「東京時間旅行…」がある。その最終号特集に「領国を歴史探訪する」という5ページにわたる特集が組まれている。 そこから写真を借用してアップしたのが下記のもの。見覚えのある方も多いことと思う。今の様子は微塵にも感じられない。丸屋根ドームの両国国技館が見られる。 ②国技館で入手したパンフレットと今場所の番付表 若乃花特集がVTRで流れていたが、くぎ付けになってみた。第45代横綱になったのはS33年3月、初優勝はS31年夏場所、高校3年だった私は青梅街道をパレードしてくる若乃花を見に行ったものだ。花籠部屋は阿佐ヶ谷にあった。余談だが一度だけ観音湯という銭湯で見たことがある。付き人5~6人連れて。本人は腰掛にでーんと座るだけ。背中、腕、足・・・などみんな付き人が洗っていた。 今場所の番付で注目は西十両8枚目の皇風、78年ぶりの早稲田大学出身の異色力士。先場所まで直江という四股名でとっていた。
by polaris-8
| 2011-09-09 15:52
| 好奇心
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