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2011年 08月 09日

8月9日長崎原爆の日

昭和20年8月9日、この日は長崎に原爆が投下された日で、今日は66回目の原爆の日である。あるいは私の命日として67回忌になっていたかもしれないと思うと、人間の運命なんてちょっとしたことで、これほど大きく左右されるものかとつくづく思う。
その日私は今の北九州市八幡区槻田というとことで、国民学校1年生だった。小倉に落ちていれば八幡も木端微塵で焼け野原になっていただろう。それがお天気の都合で長崎に行ったという事は、何とも長崎の方々には申し訳ないが、運命のいたずらでしか無いと思う。おかげで今の自分がここにいて、子供や孫に恵まれた生活を送っている。
なぜ小倉だったのか、製鉄所のある八幡ではなかったのか。その背景にはアメリカのメンツから来ているようだ。その原因は風船爆弾。当時風船爆は小倉で作られていた、それが大きな理由のようだと思わせるような記事が、先日の新聞に掲載されていた。詳しくは添付の資料をご覧いただくとして、今でこそ笑って過ごせることも、当時は生きるか死ぬか、生死のはざまで真剣に考えられていたのである。
今年ドイツを旅して「ポツダム会談の行われた場所」を訪れる機会があった。そこでの説明で日本の敗戦と原子爆弾投下の理由、ソ連の終戦直前の参戦など、真実を知る機会があったが、ちょっとしたボタンの掛け違い、時間のずれ、トップの判断などに齟齬があったということが歴史を大きく左右したのだ。歴史にタラ・レバハ存在しないが、そういうところに人間の運命というものがあるんだということを、受け止めなければならない。
平和といえる今の時代、貧しいながらも健康で、心豊かに過ごすことができているのも、あの日の天気、雲がかかっていたことにさかのぼる。
そして1週間足らずで15日の敗戦。教科書を墨で塗りつぶしたり、破棄したりということが二学期から始まったのである。
3月10日は阿佐ヶ谷で空襲、千葉に疎開するも5月には八幡に引っ越し、そして前述の一件。自分の生かされている運命の女神に感謝に堪えない。
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この記事は7月14日朝日夕刊ジャーナリズム列伝72から引用

by polaris-8 | 2011-08-09 20:13 | 雑感


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